第92話「三種の神器」
「携帯」「パソコン」「コンビニ」この3つは、現在の生活・仕事をするのにはあたりまえに欠せないモノです。この三種の神器から計り知れない恩恵を受けていることも認識しています。でも、これらのものから受けるディメリットについて最近よく考えます。
くだらない自分のたとえ話で恐縮ですが、高3の夏、野球部を引退するや否や、女の子と仲良くなるために、週の半分くらいは新宿のDISCO(死語 笑)に通いました。坊主頭に少し毛が伸びた超ダサダサ状態でしたが、勇気と根性で(笑)、で女の子の自宅の電話番号をなんとか聞きだしていました。翌日、意を決して電話するのですが、当然、家電(イエデン)から家電なので、まずは、自分の親を気にして、次に、相手のお父さんが出たらどうしよう?などとあれこれ考え、ドキドキしながら電話をかけるのが楽しくてしょうがなかった記憶があります。
今は、そんな経験絶対しないですよねー。携帯はかける場所は自由、出る相手は99%本人。 さらに、番号通知のお陰で、かかってきた電話に必ずしも出る必要はないし、イヤだったら、着信拒否なんてこともできるから、番号を教えることのリスクはかなり低いですよね。比較はできないけど、当時と比べたら、女の子に電話番号を教えてもらうことは容易になったのではないでしょうか?
でも、豊かで便利がなことが当たり前って、実は楽しめることの領域が減っていることなんじゃないかと思います。もちろん、それらを駆使してもっと高次元の喜びを求めることが可能になるということでもあるのでしょうが、そっち方面で喜びを実感できる人ってそんなに多くはないような気がします。女の子のお父さんをかいくぐって、やっと電話がつながった。部活の後、のどカラカラの状態でやっと、パン屋のチェリオ(笑)にありついた。こんな単純で、ちょっと抑制のあることを達成したときの「幸せ度」はかなり高いと思います(特に若いときは)。もっとさかのぼって、親の世代では、あまり食べるものが無いときに、トマトを畑でもいで塩をかけて食べたときの美味しさはなかったとか・・・
親の世代━自分たちの世代━今の世代のギャップ(変化)のスピードはますます速くなり、かつ劇的なものだと思います。大人の都合(世の中の流れ)で、若い人(子供)に豊かさ、便利さを当たり前のように与えることが、彼らにとって本当に幸せなことなのでしょうか?自分は違うと思っています。まずは、大人が効率(楽)を追求することから、やりがい(生きがい)を追求することを彼らの前で実践していかなければならないのではないでしょうか。自分もそんな流れにどっぷり浸かっていた訳ですが、できる限り、逆流していても、良いと思った方向に向かって少しでも泳いでいきたいと思っています